【昔の失敗談】やれるところまでやったあと、初めて「不得意」と言おう
みんなだれでも得意不得意ってあると思うんだけど、よく勉強する前から簡単に「不得意」と決めてしまってはいないかな?
確かに「全ての教科を得意になれ」いうのは酷だと思う。
ここで私の失敗談を聞いてほしい。
私の人生最大の選択ミスは、就職先。先々を予想して頭で考え過ぎたのがよくなかった。もっと直感というか好きかどうか、という視点で選ぶべきだった。たぶん向いていないとわかってはいたし、正直に会社側にもそう伝えていた。会社側も、SPIやら小論、面接までしたのに、そして何より本人自身が「向いているかわからない」とはっきり伝えているのに、見抜けないものなのだろうか。就職氷河期でね、文学部女子なんて自分から積極的に動かないと(理系男子と違って)、青田刈りとかリクルーターとかいうお誘いが会社側からくるなんてことはなかったわけ。だから私の就職活動が一生懸命に見えたとしか思えない。たしかに一生懸命だった。それにしても不思議だよ、だってSEの会社から3社も採用来たよ。(人事も見る目ないなあ笑) そんなに人事が「ぴったりです」と言うなら、ひょっとしたら自分が気づいてないだけで向いてるのか?なんて勘違いしちゃったわけ。
結果、得意分野とは真逆のSE(システムエンジニア)という職種に就いてしまった。やっぱりぜーんぜんわからなかったし、なんとか興味持とうとしても持てなかった。でも悔しいから、いろんな人をつかまえては一から説明してもらったさ。(お時間とらせました) 胃炎にもなって病院行ったわ。キリキリ痛むのね。
連休明け帰りの飛行機。このままこの飛行機が落ちてもいいなあ。死んでもいいや。でも親が泣くな、と空虚感でいっぱいだった。
でもわからないまま辞めちゃうのは悔しかったから、「わかってから辞めよう」と思って半年から一年、頑張ってみたよ。そうしたらある時、「あ💡わかっちゃた!」と回路が開いたんだ。
同期たちより周回遅れだと思うけどね。何がわからないかがわからない状態から、何がわからないかがわかるようになったの。
そこからは早かった。闇のトンネルを抜けた感じね。ここがわからないならどれを調べればよいかがわかり、さらに誰に何を質問したらよいかが明確にわかったんだ。
これならやってはいけるとは思ったね。(会社の先輩方にはご迷惑をおかけしました)
実際、この闇を抜けるまでが辛いと思うんだよね。いつまでかかるかわからないし、やってもできないかもしれない。だから「石の上にも3年」と期限を決めた。
ただわかったとは言っても、この仕事で鶏口となれる気は全くしなかった。得意な人は無茶苦茶得意でしょう? 牛後のままついていくことはできても、鶏口になることはない。だから2年目冬、「わかるところまでは頑張ったから悔いなし」と退職願を出した。(会社には申し訳ありませんとしか言えない)
これは人生最大の失敗談なんだけど、「とりあえず回路が開き、具体的に質問でき、その後は随時調べればできる」ところまでは頑張ったという満足感はあった。
こんなふうにね、
質問するっていうのは、ある程度勉強してからしかできない高度な次元にあるものなんだ。漠然としか勉強していないうちは、何がわからないのかさえわからないものなんだ。闇の中ってやつね。
だから私言うでしょ?「漠然とでもいいから、『なんかこの単元、全体的にわかりません』とだけでも伝えて」と。
でもその前に、みんながまずはよく読んで理解しようと努めてみてほしい。もがくことってとても大事なんだ。でも他者に助けを求めることも大事。だから煮詰まったらおいで。そのための塾なんだから。
今日もSKPのみんな、頑張りました!この1ヶ月で、みるみる変わった子。もともとがんばりやさんだったけど、さらに拍車がかかった子、いろいろですが、確実に変化しています。ちゃんとお一人ずつ説明できます。形になってきたのです。それはきっとおうちのかたには見えない小さなことです。
新入塾の生徒さんもだんだん性格がわかってきました。さてどううまく引き上げましょうか。それぞれに対する接し方のコツもわかってきましたよ。
私、仕事としては塾が向いていたようです。皆様のご理解・ご協力のもと、16年間続けてこられました。
明日もみんなを待っています。