【実用文】大学入試段階で必要か? 大学とは。

現高2生から始まる大学入学共通テスト・国語では、「 実用文 」が初めてプレテストで出題予想として出されました。

小・中学校の教科書にも随分と「グループ発表、討議」のページ数が増えました。

今は「じっくりと腰を据えて学ぶことよりも、インプットしたらすぐアウトプットせよ。アウトプットしてこそ身につく。とにかく発信せよ。」という風潮があります。

「効率」「即効性」「発信力」などのビジネス書で溢れています。「すぐさま使えるスキル」を売りにした書籍が目立ちます。

残念ながらもはや、じっくり一冊を髄まで吸い尽くすような読書、頭を抱えながら難解な文章と格闘するような読書は流行っておりません。流行っているのは、わかりやすさ、らくらくできる系の問題集、速読、アウトプットばかり。

インプット3割、アウトプット7割、という本が平積みになっているくらいですから、同意されるかたも多く、それが正しいのかもしれません。有名な精神科医が書いたものだから間違いないのかもしれません。それでもあえて「本当か?」と問う姿勢を忘れずに読んでみることをお勧めします。溢れる情報にまどわされないために。

いつも思うのは、本は一著者の意見でしかないということです。「ほんとかな?」とまず疑問を持ってください。受け身の姿勢で読むだけでは、読んだことになりません。読んだら自分の感想や疑問を持つことです。そうして初めて、その本を「読んだ」ということになるでしょう。

「本当かな?」と疑うためには、もちろんそれまでに培った知識がものをいいます。

特に説明文・論説文を読むとき、最低限必要になるのが抽象語に対する免疫力と対義語の知識です。(抽象語と対義語についてはまた後日) 。語彙が少なければ話になりません。人は語彙数分だけ思考できる幅が広がるのです。小中学生には、これらの知識を少しずつストックしている最中です。

てっとり早く目先のものを追わない泥くさい勉強こそ、本物の「学び」だと信じています。

てっとり早さという一見効率の良い勉強法を覚えた子は、その後も勉強に限らず、なんとか楽に手軽に済ましてしまおうとする傾向にあります。目先のお金、短時間労働、わりのいい仕事などを求めます。自分がそれに値する人間かを顧みず文句だけ言うようになります。


話がそれましたが、

大学入学共通テストに「実用文」をわざわざ出題することはない。

古いと言われればそれまでですが、大学は学問を探究する場です。学問を探究する場に入る資格を得るために、なぜ「実用文」が必要なのでしょうか。共通テストにおける古典軽視の傾向は、そのまま高校での古典授業数減、生徒の中で「切る」科目、となりそうで残念でなりません。

大学は就職予備校ではありません。就職活動も含め、大学の存在意義を問い直す必要があると思っています。

みなさんはどう思われますか。

すぐには役に立たない研究を不必要だと思われますか。そのような研究をする人材をどれだけ抱えられるかが、国の豊かさを示す一つの指標でもあるというのに。

懐の深い国家は繁栄します。基礎研究分野に投資することを惜しめば、それはすなわち国家の先細りを意味します。

大学は本来、職業訓練学校とは一線を画す研究機関です。若いみんなも、大学に何をしに行くかをよく考えてください。まずは学問に身を投じるつもりで、真剣に大学・学部を選んでください。


ブログに塾長の人柄は隠せない、と聞きました。塾選びの参考にしていただけると幸いです。