【国語も音楽も美術も「表現」である】クラシック音楽鑑賞入門講座(7/25より)

今、小中学生のみなさんにとっては、音楽や美術は副教科でしかないかもしれません。学校にいるとあまりにも「教科」というくくりに縛られすぎて、その関係性に気づきにくいのではないでしょうか。少なくとも私はそうでした。

しかし実は、「国語という教科は文学はもちろんのこと音楽や美術などの芸術と深いところでつながっているのです。」

以下は、先週行われた前島先生のクラシック音楽講座について書いたものです。私もこの前まで「国語の先生が音楽?」と正直つながっていなかったのですが、ようやくつながり始めました。

クラシック音楽とは何か。それは「理解するもの」でも「感じるもの」でもなく、「※腑に落ちるもの」としか言いようがないそうです。「人間の力ではどうにもならないもの(たとえば大自然の中の夕焼け)を目の当たりにしたような感覚」「大伽藍の中にいるような感覚」が近いとか。

私には「大伽藍の中にいるような感覚」という表現がしっくりきました。今まで娘と見たアニメでいうと「鋼の錬金術師」。主人公が「あちら側」への扉を前に恐れおののき立ちすくむ場面。まさに大伽藍の中。思い切ってその重厚な扉を開いた瞬間「あちら側」に巻き取られてしまう感覚。それに近いのではないのではないでしょうか。

私にとっては未経験の世界。みなさんと一緒にクラシック音楽鑑賞への扉を開けてみたいと思います。既にクラシック音楽に馴染んでいるかたも、今までとは違う楽しみかたを堪能できるでしょう。

「本来、音楽とは音を楽しむものではありません。」これについては「音楽と世界史」というテーマで先日お話しになりました。また改めて取り上げます。

「音楽・芸術分野に関する文章は、入試にもよく出題されますが、点差が出やすいジャンルです。」

「音楽・芸術・文学といわゆる国語という教科は、『表現』というところで深くつながっているのです。」これは想像に難くありませんね。そうだとしたら演劇も表現のひとつ。昔の河合塾に演劇関係の国語講師が多かったのもうなずけます。

「クラシック音楽鑑賞入門」と銘うった講座ですが、そこからさまざまなことがらがつながっていく知的喜びを味わえます。

みなさんを前島先生ならではの世界へ、私が自信を持ってお連れします。来月からの正式開催をお待ちください。

(※正しいことばの使い方としては「腑に落ちない」です。江戸時代に「腑に落ちる」という用例がなかったわけではありませんが。)