【国語を学ぶことの意味】とは「世界を理解すること」

本来、読めないものは分からないはずです。しかし、読めないままで分かろうとする子が多いのが現状です。

子どもだけではありません。

大人はどうでしょうか?

読めない子どもでもなんとなく大人にはなります。経験から生きてはいけますが、新聞やニュースをどれだけ本当に読めているかは甚だ疑問です。

例えば、日本人はある一つの流れができると、皆一斉に同じ方向を向きやすい、だからSNS上で炎上しやすい、といわれます。その理由が読解力の低下にあるとか。

ある事実に対し中立的立場からものを見られない背景には次のようなことが考えられます。


①ニュースや記事について、客観的に読めていない。

②そのためインフルエンサーと呼ばれる人たちの意見に迎合しやすく、一律で偏った見方になりやすい。

③結果、一個人としての意見を理由を持って発することができない。


中立的な立場で判断するには、まずは自分の意見を持つことが必要です。自分の意見がないと流されます。「右向け右」となります。

こんな現状が続くと日本の将来は危ういと思いませんか。

だから、子どものうちから読む、聞く、が必要なのです。そして自分の中で充分に醸成させたあと、正しく発信する、そんな力が必要なのではないでしょうか。

SNSでは一方的勘違いの理解の下、よく考えもせず匿名を隠れ蓑に、センシティブな単語をすぐさま発信することができます。

生徒さんにはそうなってほしくない、きちんと良識のある言葉を選び、相手を尊重した発言ができる大人に成長してほしい、と願っています。

そのためには共感能力も必要です。身近な人だけでなく、古今東西の国の文化・歴史に触れることにより、知らない世界を「想像する」ことができたら、平和な世界が訪れそうですね。

そのためには読書、そして「国語」を通して様々な世界を学ぶことです。

テストや受験に役立つ読解力をつけるためだけではありません。

「世界を理解する」という壮大な目標のため。それが「国語を学ぶ」ことの意味です。

壮大なテーマなので、私自身もまだまだ表面的な考えしか持ち合わせていません。理解していない部分もたくさんあります。

もっと勉強してからまたお伝えしますね。訂正、補足することになると思います。