【現代文の読み方】設問文こそしっかり読む
人から見られる意識でいないとだらけていくので、たまには写真を掲載します。
東京でご活躍中の河合塾現代文講師、小池陽慈先生がツイッターで次のようにおっしゃっています。
《「では設問文を読もう。『傍線部A〜〜とあるが…』」って段階で、頁をめくる音がちらほら聞こえる。つまり、まだ設問文を読み終えていないのに本文に戻っているということ。こういった点をネチネチ指摘することで、”設問文をしっかりと読む”、”問いに答える”という意識を醸成していくことも大切です。》
私も同様の考えかたでおります。順を追って説明します。
①設問文をしっかり読み、何を問われているのかを頭に叩き込む!
「具体的に表現しているのはどこか?」と聞かれたら、具体的でない表現の部分があるということ。それと間違えないでね、というヒント。だから「具体的に表現してるところ」を探すんだな、とまず頭にインプットする。覚えで線をひいておくなら「具体的に表現」という部分。
でもまだ本文に該当箇所を探しに戻るのはまだ早い。
②たぶんこんなことが書いてある部分かな?と見当をつける。でないとやみくもに本文を探すことになり、時間の無駄。
見当をつけられる、ということは、一回目に本文全体をしっかり読んでいなければならない、ということ。
③見当をつけたら、その証拠を本文に探しにいく。
これが王道です。
間違っても傍線部の周りだけを読んで答えればいいや、という感覚でいてはいけません。
「だって本文全部読んでる時間ないもん。」という声が聞こえてきそうですが、それなら時間内に本文全部読めるよう、鍛えておくしかありません。
全県模試を見ていても、やたら国語の解き終わりが早い子が結構います。そんなに早く終われるはずがありません。点数は?というとやはりそれなりです。
模試は最後の最後まで粘りましょう。不思議と数学はみんな最後まで粘るんです。
それに対し、国語ってあっさり終わられます。なぜでしょうか?読むのが面倒なんでしょうね。
頭を抱えながら活字を追う体験、これは後々活きてきます。私も高校一年時に近代文学を読むのには骨が折れました。意識して読みました。「好き」までいきませんでしたが、「カッコつけ」から入り、全集を読破しました。本棚にそろえると賢くなった気がするからです。動機は不純でしたが、結果その後、大学入試のためだけでなく、一般常識として役に立ちました。話題に出てきたとき会話が続きます。逆に知らないとき、つい先日ですが恥ずかしい思いもしました。
大学入試は高校入試とはわけが違います。国公立大学入試は高校の勉強の延長ではありません。
哲学書なんて1ページを何回も読まないと頭に入ってきません。速読できるものでは到底ないのです。
速読でなく精読。
読む速さは読書体験の量で次第についてきます。速さなんて2倍で充分ですよ。それよりじっくり内容を味わい、吟味し、考え、意見を持つことです。
意見を持って初めて「読んだ」ことになるのです。
小学低学年なら少なくとも感想を持つことです。
感想・意見を持つことは、書いてあることを鵜呑みにしないという軸足をつくります。批判的精神を養います。
批判的精神、疑問を持ちながら読む。(これが大人の読み方です。)
すると大学で卒論が書けるようになります。卒論には新たな視点、オリジナルの視点が必要です。(当然、それを論理的に仕上げる能力も必要です。)
新たな視点を見つけ、いずれ自ら発信できるようになるために、今は先人が残した書物からひたすら学びましょう。
真摯に学ぶ姿勢は一生忘れてはいけないと思っています。
「今はじっくり良書を読んでね。見えないところで血肉になってるよ。」ということです。
今はなんでも数値化、見える化を求められますが、即効性だけを求めてはいけません。学力は時間をかけて醸成するものです。だから学習は、幼児・小学生から始めることを強くお勧めします。上辺だけの受験勉強ほどつまらないものはないからです。
すでに今受験生なら、まずは筆者の主張に対し、なぜ?疑問をもちながら本文全体をつかむ、それから設問を熟読。解答の見当をつける、本文に戻る、で一年間やってみてください。
親には、長い目で見てやる余裕が必要です。一緒に頑張っていきましょう。